2014年3月4日火曜日

そば

胡椒をかけて食え


今日、ネットで「吉野家の牛すき御膳が爆発的人気!」という記事に触発され、吉野家を食べに行こうかと迷いました。

吉野家とケンタッキーは本当にたまに、無性に食べたくなるんですよね。不思議です。

吉野家までスタジオから若干遠いので、ヤメて、近所のそば屋に決めたんですが、なんともつ鍋屋さんに変わっていた・・という話。

そう、今日の話題は「そば」の話。この所、これも無性に読書する時期があるんですが、今がそうで、子供の教育についての本などを読んでいて、忘れないうちに書評を書こうと思っていたんです。書評じゃないですね、「老後をどう過ごすか?」シリーズと同じで、どう子育てするかをシリーズで書きたいと思っています。

書くと結構、頭がクリアになる。私立か公立か? お稽古は? 学力か性格か? 自分が子供に与えれるものは何? 全く整理出来てないので、子育てについて考えたいと思っています。

でも、今回は「そば」の話にします。

そばが美味いとか不味いとかの話じゃない。ただ福岡のそば屋はうどんが柔らかい反動か?固いそば屋が多い。それとラーメンの「カタ麺」とか「ハリガネ」とかの影響でしょうか。

そのそば屋、潰れる予感はありました。というか、よく今まで続いたなというのが実感です。

そばの話というより二代目の話ですね。

前回の歌舞伎役者の話から「生涯に渡って守らないといけないものがある」というのがある人達は歳とっても乱れないという風に思いました。

僕が凄く好きで通っていたそば屋が、大将が病気になってお店を閉められたんですね。もう5、6年前でしょうか。

江戸後期からの老舗「大石そば」閉店 200人が「お別れの会」

冬の鴨南そば、おかめそば、漬け物・・・・美味しかったです。大将が高校の大先輩で、暇な時にそばについて色々と教えてくれました。自分のそばに関する知識は大将の受け売りです。

漬け物と言えば、ニューヨークのそば屋、honmura庵のそばと漬け物は美味かった。外国のくせして、そばがやたらと美味かった。「ホームランに行こう」と友人に誘われて、「ホームランなんて名前のそば屋はそばをなめてる!!」とケチでもつけてやろうかと行ったら、場違いな程立派なそば屋でした。「本むら庵」ですね。

自分の中では、「大石そば」と「ホームラン」が漬け物が美味いという所で共通しているので、「美味いそば屋は?」と聞かれれば、「漬け物が美味い所」と答えます。結構当たっていると思います。お試しあれ。

外国10年の生活で一番旨かったのは何?と聞かれれば、「ホームランのそば」と答えます。こちらも閉店したらしく残念です。東京の本店はまだあるようで、いつか行ってみたいです。東京は立ち食いそばでもそばは美味いです。

そばに限った話じゃないんですが、こういう名店で跡継ぎがいないというのは大変残念な事です。大石そばにも娘さんがいたと思いますが、お婿さんは継がなかったんでしょうね。もったいない。

「息子が立派になって家業のそば屋は俺の代で廃業」とか言う話はよく聞きます。そりゃ東大出て、一部上場の会社のエリートだったりしたら、継げとは言えないかな。

こういう現象が今から多くなると思う。後継者が魅力を感じずに、代々続いた家業を閉店というのはどこの業界でもある。または後継者がとんでもない博打打ちで江戸時代からの家業がなくなってしまったとか。

この話は、子供の教育という所で、大事な所になる。バックボーンがしっかりしているかどうか? 背骨はあるかないか? 背骨はどう作っていくか? しなやかな背骨作りとは?

前述のもつ鍋屋に変わってしまったそば屋も背骨というのをどう理解していたのか? 教育というのは背骨をどう作っていくかじゃないか? 今、漠然とそう思っています。背骨教育。

近所のそば屋が潰れた話と何が関係があるんだ? あのそば屋は背骨が弱かった。いや、いい背骨はあったが、せっかくのいい背骨を有効に使えてなかった。開店して3年目位にそう思いました。それまでは試行錯誤しながら背骨を保っていた。たまに通っていましたし。

「そば屋」を「私の子供」に代えてみたら、子供の成長とそば屋の成長とよく似ている。無理矢理?

ああ、そば食べたくなった。福岡なら「やぶ金」と「ひさや」が安定して好き。














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