2013年11月29日金曜日
老後を考えてみる
久しぶりの更新となります。最近は娘の幼稚園の送り迎えとかがメインの生活なので、あまり外部に向かって書く事ないですね〜。
写真は、弟の口に手を突っ込んで、「可愛がり」をしている、みいこです。
当たり前と言えば当たり前ですが、幼稚園に付き添いでくるお父さんって少ないんですね。
たまに「会社が休みで、娘と一緒に来ました」という、お父さんとかいらっしゃるけど、基本はお母さんと一緒です。
お父さんがいつも一緒というのは、変なのかもしれません。誰かに、「みい子ちゃんのお父さんは何をやってらっしゃるのですか?」って聞かれたら、「はい、主夫です。ジョンレノンと一緒です」と即答できるようにしていたのですが、誰も聞いてくれない(興味ないっしょ、そりゃ)。
最近は、娘と息子の成長を見守りつつ、緩やかに生活しているって感じです。
20歳位の時、40歳になったら〜な感じになりたいな〜っていうのが明確にあったのですが、現在、40歳を超え、60歳になったら〜な感じになりたいな〜っていうのが見えないんですよね。もう45歳ですけど。
考える範囲が自分だけじゃないからな〜。
ある雑誌で年寄りの言葉に凄く感銘を受けたんですが、「人間定年退職して、世間から相手にされなくなってからが勝負じゃっ!」みたいな事を言われていたんです。
なんかそれが分かるような気がします。ただ、みのもんたも板東英二も、好々爺みたくなりたくないんですよ。影響力。これって人間にとって凄く重要ですからね。
だから定年のない会社社長とか中々引退しない。引退して影響力をなくしたら、一気に若々しさとか、オーラとかなくなってただのクソじじい扱いされるの自分でも分かってるから。
「生涯現役!!」ってのは、結構周りにとって迷惑だったりする。だから、歳をとって、どこかで、スイッチしないといけない時期が来る(と思う)
スイッチした所で「生涯現役!!」を自負すればいい訳ですから。年寄りらしく、隅の方でおとなしくしていろなんてのは、今からの時代はナンセンスでしょう。それに、相続金という伝家の宝刀を、多くのお年寄りはお持ちだし、結構好き勝手できるポジションにいる。
さて、年寄りになったら、どうしようという話です。
情熱を注ぐ対象ですかね。歳をとっても出来る趣味を1つはもっておけというのと同じでしょうが、趣味だけでない何か・・・年寄りが情熱を捧げられるもの。
欲深きは罪か? いや、生命力には繋がると思うんです。海外のヨガスタジオに行くと、お年寄りのカップルが二人並んで朝から練習していて、とても感動した事があります。そういうのもいいですね。
山城新伍みたいにさ、何があったか知らないけど、あまりやり過ぎると、嫁と子供からもシカトされるみたいな晩年はイヤだな〜。特に僕の嫁なんて、自分で稼いでいけるから、ちょっと気に入らないと、すぐにポイするぞ、あれ。
年寄りになってどうしたいか? 犬は飼いたい。今でも欲しいけど。イマドキ、現役を退いてから20年〜30年生きますからね、人間は。学校に通うとか。そうですね、もう一回、大学生活を送りたいですね。海外の広いキャンパスで、学食でジャンクフード食べながら、試験勉強とか。大学通っても数年ですね。
テレビ10台位、リビングに並べてテレビ局にクレームをいれるのが趣味のモンスターじじいになるとか。これは誰しも可能性はある。現役引退して、相手にされなくなったら、眠っていたモンスターが覚醒する人もたくさんいるだろう。
年寄りには年寄りにしかできないポジションってのがある。そういうのを今から考えて、作り上げておくべきですね。なんでしょうね。でも結局じじいになったら、色々と溜め込んだものを吐き出さないと、誰も相手してくれないだろうな。
吐き出す事に慣れておく事位は今のうちから免疫をつけておかないと、かっこいいじじいにはなれんだろうね。
老後のあり方を真剣に考えて、それに向かって色々とやりたいです。事業も、家とかの資産などの購入、子供の教育、食事・・色々・・
モデルとなるようなじじいをネットで探してみようと思います。
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