2013年7月25日木曜日

共感


 昨晩、「ファイティング・ニモ」というピクサーの映画がテレビで放送されていて、来週頭に3歳になる娘が、それを観て泣いていた。

もうストーリーが分かるんだね。しかも2時間もテレビの前でアニメを観れるという。

「ニモはパパに会えるの?」そんな娘の姿を見るのは胸熱です。

最後はハッピーエンドで良かったです。これが最後、ひねりを加えて黒い終わり方だったら、「このクソ映画は何も分かっちゃいねえ」となった所でしょう。

映画の脚本を一時学んでいた時があって、その時、「人の共感を得ることが大事」と教わりました。主人公に自分を重ねられるかどうかというのは大事な事です。

ただ、その頃は、「こんな予定調和で、安っぽいストーリーにするのはイヤだ」とか考えていたけど、今回、途中までニモに襲いかかる災難に涙し、最後パパと再開できた時の娘の笑顔を観たら、「ストーリーというのは普遍」と思いました。

途中、気の利いた台詞やシチュエーション、ブラックなジョークや風刺を差し込めばいいだけで、ストーリー自体に共感を得ない爆弾を仕込んで、「新しい!」なんて思わないようにしないとなーと、脚本も書いてないのにそう思いました。

神話の法則とかある。世の中のストーリーは大体〜個に分けられるみたいな法則。10個か20個か忘れました。

生きる上でも筋書きは普通(といっても観てる人のほとんどがそれが古来からある手法である事に気づかないけど)でいいんですよね。神話の法則って、人間の人生にも当てはまるらしいですよ。「人生山あり谷あり」

「人の共感を得る」ってそんなに大事か?自分の主張の方が大事じゃね?と少なからずとも思っていた自分に、娘が昨日回答をみせてくれました。

ア〜、僕も、ハラハラドキドキしながら映画を観たいです。映画観て涙流したのなんていつ頃でしょうか。映画の主人公になりきっちゃって、スクリーンに釘付けになって知らない間に涙がこぼれてしまった・・・

「あっ、ここはこうなって、最後はこいつとこいつがくっついて終わりだな」みたいな冷めた感じ。

感動を忘れたらいけませんね。昨日のそんな娘の姿を観て、心の奥底に眠っていた何かに触れた気がします。