6年前に書いた「暴力」についての記事のヒット数が伸びてる。
アヒムサ(非暴力)ってか、肉を食べる事について。たまにはヨガっぽく書いてみる。
今月で4歳です。 |
「食前の言葉」です。
ヨガでアヒムサとか習うくせに、命の犠牲の上に自分が生きてるっていう感覚は、思い返さないとすぐ都合よく忘れるものです。
豚とか牛とかを自分で解体して食べろと言われれば、ベジタリアンになるかもしれません。
まずどうやってぶっ殺せばいいのか分からない。相手も解体されまいと必死ですから、血まみれで格闘する事になる。ナイフとかもっていても。油断すると逆に食われたりするかも。豚は人肉を食うでしょ?
牛の突進をかわして、殺したはいいけど、あの重さをどう運ぶ? ハイエナみたいに仲間とその場でつついて食べた方が早い。
そう考えると牛丼280円とか驚異的な安さ。おかげさまとはこの事でしょうか。生きるか死ぬかの決闘を獣どもとしなくてもわずか280円で提供される。ハレルヤ!
本当は我々も獣と一緒。上手に分からないように肉とか加工してあるが、その解体現場は壮絶だというのは想像できる。でも無意識で、そういう現場がある事を考えない様にしている。
スマートなお肉の方々 |
見てみぬふりしないとか、6年前の日記に偉そうに書いているけど、そういう視点でみたら、多いに食べ物に対して見てみぬふりしている。 だからと言ってベジになれないし・・
世の中便利になりすぎて、食べ物だけじゃなくて、色んな物が原型が分からないように加工してあるから、判断するのに想像力が必要になります、今の時代。
ごめん、でも肉食をヤメろってのは無理かも。
「多くの命とみなさんのおかげで〜」ただ、その言葉に救われる。自分を納得させる最初で最後の砦。
園児達の「食前の言葉」に触発された話でした。
残さないように感謝して食べます。
PS: 幼稚園の「食前の言葉」をネットで検索してたら、下関の幼稚園の園長先生が「食前の言葉」について書いていらっしゃいました。
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