2015年6月2日火曜日

引き続き



イタリア紙の本田選手や長友選手への辛口記事が面白かったりする。


  1. 日本政府は労働時間を削減したところで(労働基準法改正案)、本田もそれに適応した。
  2. ミスが多すぎる。無人のサハラ砂漠でもブーイングを受けただろう
  3. (2輪メーカーの)HONDAの名前に泥を塗るかのようにあらゆるプレーを恐ろしいまでに停滞させた
  4. ジャングルの中に迷い込んだ日本人。正しい道が見つからない。創造性ゼロ
  5. 退屈なチームすぎて庭でアリの行列を眺めていたほうがマシだった
  6. 本田圭佑はゴールのサラリーマン
  7. 髪が目立つだけ
  8. この夏に彼の弟と交換して、いい方の本田にしてもらった
  9. 前半は完全に消えていた。後半も同様。幽霊。
イタリア人ってこういう書き方が上手ですね。ラテン語もそうだし、ニコロ・マキャベリもそうだし、イタリア人の辛口は、ちょっとひねりが効いていて面白い。

こういう発想は日本語からはあまりうまれてこない。そういう土壌がないし。

オシム監督もこういうひねりの効いたコメントがうまい監督でした。ローマ人じゃないだろうけど。

日本でも、抜群にうまい人がいた。田中角栄。発想がラテン的というかクリティカルシンキング的な人物でした。

金権政治家というイメージが先行しているけど(事実だが)、言葉や人物評が抜群にうまいというか、例えが上手な人だった。

中曽根元首相を称して、「あいつは遠見の富士だ。遠くからみたら綺麗だけど、近くでみればがれきの山」

三木元首相を表して、「あいつは婆さん芸者だ。呼ばれもせんのに、しゃしゃり出て、裾をまくって客の前で踊り出し、三味線奏でて唄って聞かす。芸があるから生き残る」

公明党を称して、「法華さんの太鼓を叩くヒットラーユーゲントだ」

色々と面白い。例えがイタリア紙の辛口コメントとなんとなく似ている。あの時代にはない西洋的な発想力が田中角栄をあそこまで運んだんだと思う。それと昭和という時代が混じり合って、傑物が産まれた。と、僕は見ている。

今と違って昭和ってちょっと泥臭い。野球選手の逸話とかも、村田兆治が右肩痛で選手生命が危ぶまれて入院している時、兆治の親父が臨終の時「兆治、俺の右腕もっていけ」と言った話とか。

昭和らしい。

僕も昭和の人間で、古いタイプの商売人の父の元で育った。

その昭和の匂いを引きづりながら今までユニヴァも運営してきて、まあヨガなんてのは、その対極にあるものらしく、色々と周りの新人類的な発想に驚かされたりもしました。

そんな中で、僕の親父から受け継いだ古い商売人的な発想を理解し、ヨガ的な発想もできる先生、yukiko先生が、先月いっぱいでユニヴァを卒業。

ここ1日2日、アクセスが突然増えたと思ったら、多分yukiko先生の事ででしょう。

僕と話をする時は、きちんとそういう昭和のスイッチを入れてくれていました。

「UNIVAの小林幸子」

僕の言い分を黙って受け入れてくれました。
















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