2014年9月21日日曜日

パンク女その1

もう秋ですね。

半パン、半袖じゃ寒くなってきました。今年は秋の訪れが早いのでしょう。

さて、本当にどうでもいいんですが、先日書いた「パンク女」について。

結論から言うと、外人のパンク女と僕の淡い恋の話。しかも20年以上前の話。

本当にどうでもいいです。でも、記憶からなくなる前に記録しておきたいという衝動に駆られ、upします。 すみません・・

当時僕はニューヨークに住んでおりまして、ゲーセンばっかり行ってました。僕が輝ける場所はゲーセンしかなかったんです。毎日、朝から閉店までいました。

学生だったんですが、まあ時間はいっぱいあります。授業の時だけ学校に行って、すぐゲーセンに戻るという生活。

クラスメイトの女性とかは、もう完全に僕なんか空気ですから。存在すらしてない。ちびで英語もろくに喋れん東洋人とか完全に空気です。177センチありますが、外国ではちびです。

でもゲーセンではヒーロでした。弟子もいっぱいいたし、ゲーセンでは英語バリバリ喋るんですよ、自信があるから。普段は吃るんですが、不思議です。

英語もね、ゲーセンで覚えたし、あとNBAのニックスが大好きでバスケットボールを通して英語を覚えました。マイケルジョーダン全盛期でしたから。ありがとう、マーブ・アルバート。「yes!!」

すぐに彼氏がみつかるから、女性は英語覚えるの早いんですよ。日本男子は韓国男子から呼び出しをくらう覚悟で韓国女子と付き合うか、台湾女子と付き合うか・・(韓国や台湾の女性の間で、日本人男子ブランドというのが確かにありました。当時ね、今は知らん)

僕はゲーセンで英語を覚えましたけどね。

当時、「ストリートファイター2」のゲームでは、僕と韓国移民のゲーセン店員の2強でした。1年後にはみんなのレベルが上がって、群雄割拠みたいな状態になりましたが、通い始めの頃は、ほぼ負け知らずでした。チャイナタウンのゲーセンに強い奴が2、3人居ましたが、負け越した事はなかったです。

日本人は居なかったです。NYまで来て、ゲーセンにはまるバカって僕くらいか。そのおかげでたくさんの人種の人達と仲良くなりました。20人くらいの常連の「ストリートファイター」が居たと記憶しています。多い時で30人位のギャラリーに囲まれてプレイしてました。


ブロードウェイと42nd stという日本で言うと歌舞伎町みたいな場所でしょうか。ポルノ街で、とにかく観光客と浮浪者とギャングとおかまと色々な人が通る街です。

今は奇麗になってるみたいですね。ジュリアーニ市長の「割れた窓」理論ですか。この理論は本当に色々な局面で役に立ちます。夫婦仲が悪けりゃ、掃除しろって話です。そこを支配している空気が犯罪や暴力を生むというですね・・詳しくはこちらを。


話を元に戻して。


そのブロードウェイのゲーセンが強い奴が集まる場所で、僕のホームグラウンドでした。週末になると、地方から腕自慢が仲間と一緒にやって来るんです。秒殺してやると、「信じられない!!」って顔で僕を見るんです。それが快感で、狙って週末は腕自慢系の人達と対戦してました。

こっちは朝から晩まで猛者達と毎日やってますからね。当然と言えば当然。命かけてましたから。

環境って大事。ゲームだけじゃない。本気でなにかうまくなりたかったら、最強と言われる場所に行くべきです。尺八なら京都。日本料理なら京都。博多ラーメンなら福岡。環境が人を作るってのはあると思います。大体日本なら東京に行けば色んなジャンルの最強君達がいる。本気で何かを極めようと思えば、都会に出るべきなんだよな。


おっと・・・・パンク女の話じゃなくて、ゲーセンの話になってる・・・


日本は喧嘩にならないように対面に座ってお互いの顔がみえない様になってるけど、アメリカのゲーセンは日本と違って、対戦は隣同士でやるんです。

だから喧嘩も多発する。取っ組み合いの喧嘩はしょっちゅうでしたし、銃を持ち出す奴までいたらしい。僕もこのひょろい体で2、3度取っ組み合いの喧嘩しました。

それ位ゲームに対して一生懸命でしたし、若干ぶっ壊れてたんでしょうね、マインドが。

「what's up, nigger?」と言われて喧嘩ふっかけられた時は若干嬉しかったです。本当に気を許した仲間にしか「nigger」なんて言わないですから。僕はniggerじゃないけど、なんか嬉しかったのを覚えてます。単なる口癖かもしれませんけど。

喧嘩した後は近くのチキンウィング店で反省会と仲直り会で、無問題。「一緒に行こうぜ、nigger」なんだか俺っちカッコいいと思ってました。

で、そんな時です。パンク女がゲーセンにやってきたのは。


記憶ではこの位、可愛い子だった!


つづく・・














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