2010年3月19日金曜日

こんにちは。ニシオです。
最近というかここ1年くらい、amazonの対応がかなり早くなった気がする。通常2〜3日で配達とかだったのが、その日に配達とか普通にある。

昔は毎日本屋に行くのが楽しくてしかたなかった。本屋って毎日通った事がある人は分かると思うが、毎日違うんだね、これが。

新刊が毎日出るからだろうか、毎日ディスプレイが違う。こういうamazonとかが出て来ると、買うと決めている文庫本とかはすぐに注文してしまう。昔は買いたいと思う本でも内容をパラパラと読んで、やっぱり止めたというのが結構あったけど、今はamazonだから買ってから損した気分する事がある。

やっぱり本はリアルに手に取ってじゃないと選べないのはインターネット時代になっても変わらない。

また狙った獲物しか買わないというか、ちょっと興味あったからパラパラめくってたら、「結構いいぞ」みたいな掘り出しの楽しみも本屋でしか味わえないかな。結構amazonの書評とか、本当に主観だから、おいおいみたいな気分になります。

他人の評価ってどうして自分の評価とこうも違うものかと思ってしまう事がしばしば。
本当は「バックツーザフューチャー」が好きなのに、「パリステキサス」のあのカサベテスの・・なんて、人前では本音は語らないものです。←昔の僕ね。

だからこういう評価は結構まゆつばのような気もする。さすがに世界的な古典とかに5段階評価の1をつける勇気のある奴はいないね。amazon評価ウォッチングしていると。まだ評価の定まらない作家とかが書いているもので高い評価を受けているものは必ず1をつける人がいる。

そういう人の過去の書評の歴史をたどるのが好きです。どこでこの人は心がひねくり曲がったのかを確かめるのが楽しみなんです。そういう僕もかなり心がひねくり曲がってますけど、あまり他人のブログにコメント載せたり、2chとかに書き込んだり、amazonの書評を書いたりとかしないけど、こういうカウンターパンチを常に狙っている人の行動には興味あります。何がお前をそうさせたのか?

「みんなの意見は案外正しい」って感じの本があるじゃないですか。確かにそう言われればそうかなとも思うし。

結論としては、本屋に通うというアナログな楽しみまで奪ってしまったインターネット。末恐ろしい世界が待っているような気もします。2011年のテレビのデジタル化も、世の中を変えるようなものになるのでしょうか。100年後の人達から見て、教科書にはどういう時代だったと記されているのだろう。

激動の時代とか本に書いてあるけど、案外、調整期みたいな感じでスルーされてしまう時代に我々は生きているのかもしれないとふと思ったりするのです。平和で人間らしい時代なのかも。

ってか、100年後人間がこの世に存在しているのかどうかも疑わしかったりする。第3次世界大戦なんて、もう終わりって事ですよね。今、世の中は一生懸命ビジネスとかスポーツとかにエネルギーを向けているけど、そのエネルギーの向かう先が変わってしまったら・・エリートビジネスマンは全員エリート海軍ですよ。農耕民族の我々でさえ、狩りが好きなのですから。

ヨガとか草食系とか、ニートとかそれに対するカウンターで中和しようとしているんだろうけど、ヨガとかが本当に社会に浸透してしまったら、もう末期という事なのかもしれない。嵐の前の静けさみたいな。

ヨガとかが下手に市民権を得ると、変な方向に世の中のエネルギーが切り替わる前兆なのかなとも思う。
マイノリティでいいような気もする。本の話でしたね。未来の話はどうでもいいっす。やはり子供達に明るい未来をなんて父親目線で最近考えるものでね。ただ何でも反対とかじゃなく、マイノリティの目線は大事にもっておくような、メジャーに対しての嫌悪感から来るものではなくてね。

ヨガに通われている方もやはり何と言うか、メジャー一辺倒の自分に、マイノリティ的な要素をスパイスしてバランスを保って、より魅力的な人間を目指そうというココロがあるんだと思うよ。違うか?

ヨガっていうのは、なんとなく世の中のエネルギーを感じやすくさせる何かがあるような気がするよ。

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