2009年7月17日金曜日

病院行くと考える。

こんにちは。ニシオです。



今日、病院に行ってきました。先日、コンタクトレンズを新調した時に、緑内障の可能性がある、「あなたは老いてます」と言われて、気になっていたので、きちんと検査してもらいました。



なんと運の良い事に、先日食事をご一緒した北里先生が、緑内障が専門という事で、さっそく先生の所へ。



毎日、目薬をさすようにと言われて、目薬をもらってきました。今後、一生、目薬をささないといけないそうです。それで症状の悪化を止められるであろうとの事。ありがとうございました。



目だけじゃなく、他の所もこういう感じで少しずつ少しずつ、消耗していくんだろうと予感しています。自分の寿命が分かっていたとすれば、今からどう生きようと変ってくるね。ぼーっとテレビ観てたら大家族11人の物語みたいなのをやっていて、もし自分に6つ子とか授かったらどうなるんだろうかとか考えた。生活の中心が犬から6人の子供になるという事だから、これはかなりの変化だなーとか。



そういえば、このあいだ、「人生に乾杯」というじいさんとばあさんが銀行強盗する映画を観ました。こういうなんていうんだろう、「生きる」とか、年寄りが主人公の映画が好きだったりします。薬害肝炎の被害者の福田衣里子さんとか、今度選挙出るみたいだけど、そこに書いてあったコピーが、「一度死にかけた人間は強いんです」



なかなか想像だけでは、突き動かすものってのは生まれない。目が見えるありがたさってのは、こういう病気になってから初めて感じる。生きるか死ぬかの所で、日々を過ごしてきた人の言葉は本当だろう。なにがあっても、まだ生きてるだけで十分みたいな。



死期が近づいている年寄りは、どんどん生き方を替えて行くんだろうか?両親に聞けばいいね。死にたくないという気持ちももちろんあるだろうし、死に対する覚悟というかそういうものも芽生えてくるはず。



僕の場合、これが目で、死にいたるような性質でないものだったのでよかったと思う。もしこれが、ガンとかで、これから一生ガンとつき合っていかないといけないと思ったら、自分の行動とか変るだろうか?



死生観というのをそろそろ意識して行動していかないといけないと思っています。目については、ちゃんと受け入れて一生つきあっていこうと思っています。











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